自己実現のための「移住・継業」を人生の選択肢に 浅井克俊氏 #2
地方の事業承継問題に挑む「ニホン継業バンク」の本質 浅井克俊氏#1
震災を機に生き方を変える決断
―― 浅井さんの個人的な側面に切り込んでいきたいと思います。そもそも、移住しようと思われた理由やきっかけは、どんなことだったのでしょうか。
浅井 いくつか要因がありますが、一つは東日本大震災です。当時、僕はタワーレコードの本社でマーケティング関連の部署の部長をやっておりまして、渋谷で地震にあいました。放射能汚染のリスクや南海トラフ地震の可能性などが取り沙汰され、すごく不安定な時期が続きました。
その前から、CSR(企業の社会的責任)の担当もしていまして、「いつか社会貢献や地域貢献みたいなもので飯を食いたいな」という思いも漠然と抱いていました。いろいろと考えていたなか、管理職になって、震災が起きて……。「ここで人生を変えられなければ、一生トライすることはできないのではないか」。そう思い、生き方を変えることにしました。
―― 瀬戸内、岡山県を選んだ決め手は何だったのでしょうか?
浅井 退職したあと、まずは「地域おこし協力隊制度」としてお役に立ちたいと思い探していたら、たまたま、岡山県瀬戸内市とご縁があり、2012年に移住しました。じつは、その2年前の2010年に開催された瀬戸内国際芸術祭に行く機会があって、そこで初めて瀬戸内海に触れたんですね。そのときの良いイメージがあった、というのも大きかったです。
浅井 当時の岡山県は、移住先進地であり、社会課題の先進地でもありました。協力隊の仕事が終わったあと、僕がやりたいと思っていた社会課題の解決にトライする、ソーシャルビジネスで起業できるチャンスも多いのかなと考えていました。
あとは、台風が来ない、地震がない、原発から離れている、といった地理的なメリットというか安全神話みたいなものが岡山にはあった。東京で不安に感じている部分が少ない、というのも理由の一つです。新幹線も通っていてアクセス面も便利ですし、小さい子どもがいましたが、教育面も不安はないということで、最終的に岡山を選択しました。
できない理由と正面でやり合わず、勝手にやる
―― やはり都会からの移住者の方はいろいろな苦労をされることが多いようです。地域の方々とのあいだの壁を壊せず、なかなか上手く溶け込めない、という話をよく聞きますが、浅井さんもそういった苦労はあったのでしょうか。
浅井 あります。思っている以上に排他的です。能力があるというだけで来ても、たぶん何もさせてもらえません。特に協力隊みたいな形で入ると、最初は小間使いからやれという感じで。会社でも、転職先の周囲のヒトに認めてもらえないと、フルにパフォーマンスを発揮できないじゃないですか。その、よりウェッティーな世界があると思っています。
ビジネスだろうが何だろうが、何か新しいアクションを起こそうとすると、それを阻止しようとする抵抗が働きやすい。例えば、ご高齢の地元の議員さんが出てきて、「俺に話を通さないんだったらやらせない」みたいなことを言われることもあります。
役所でも、これをやりましょう、あれをやりたいと提案しても、要は「できない理由」がどんどん積み上がっていくわけです。前例がない、予算がない、人がいないみたいな。
―― そこを浅井さんは、どう乗り越えていったのでしょうか?
浅井 できない理由と正面でやり合っちゃうと、結局は何もできません。なので、僕としては「勝手にやる」という選択肢をとってきました。「失敗しても僕の責任として負います。文句ないでしょう」というスタンスです。
ある意味、鈍感というか、別に怒られても嫌われてもいいや、みたいな感覚で、どんどんと進めていっちゃう。それで、結果を見てもらって、あとから認めてもらえればいい、という考え方ですね。
地域へのリスペクトが「継業」の大前提
―― なるほど。ただ、浅井さんのようなパワフルな方ばかりではないというか、多くの移住者は、仰っている「できない理由」に向き合っちゃって、なかなか新しいことができずにいる、というのが現実だと思います。浅井さんが経験したようなことを、これからの移住者にはさせたくない、という思いで「ニホン継業バンク」が生まれたのでしょうか?
浅井 いや、そんなことは考えていないです。
―― なぜそんなことを伺ったのかというと、「壁」「ムラ社会」「新しいことへの抵抗」という、移住者がぶち当たる課題に対して、ニホン継業バンクは一つの解決策になっているのではないかと思ったからです。
つまり、移住して新規で何かをやろうとすると、地元からすれば「おまえら、仕事を奪いに来たのか」というメンタルにもなりかねない。ですが、「そこにあるものを潰さない。引き継ぎます」というスタンスで新しいことをやるのであれば、比較的、地元からしても受け入れやすい文脈になるのかなと。
浅井 それは間違いないですね。やっぱり、「地方創生」という掛け声が始まって、一部の自治体が、移住とセットでローカルベンチャーの立ち上げを推進して来たのは事実だと思います。
多くのやる気がある優秀なヒトが移住者として手を挙げましたが、なかには、「この地域はダメだから、俺たちが来てどうにかしてやるんだ」というマインドで来ちゃう方もいました。それは、受け入れる地域側も、当然おもしろくはないですし、壁を作ったり、抵抗してしまったりする気持ちも理解できます。
でも、地域にあるものを継ぐ継業というのは、基本的にリスペクトがある。その地域の方々がやっている仕事に対して、敬意があるというのが継業の大前提なので、地元の方も移住者を受け入れやすくなるというのは間違いないと思います。
ローカルベンチャーの立ち上げも大事だけれども、その前に、継業しましょうよという方が、本当は地方創生で先にやるべきアプローチだったんじゃないか。
そうした思いが強くなり、僕らも最初はマーケティング支援のローカルベンチャーから入っていきましたが、継業そのものの支援へ会社の舵を大きく切りました。今までの地方創生の戦略で、抜け落ちていた部分を取り戻そうとしているという感覚でやっています。
「継業は甘いものじゃない」
―― ココホレジャパンや浅井さん自身は、継業しようと思わないのでしょうか?
浅井 これから先は分からないですが、今までは継ごうと思ったことはありません。どの地域でも適用できる再現性の高いソリューションを作ることで、全国的な課題を解決するというのが、僕らの使命だと思っているので。
ただ、僕らも継業に関わっていくなかで、例えば「この旅館を僕らが直接出資してやりたいね」と思うことがないかといえば、やっぱりあります。今は、リソース的にそのときじゃないと思っていますが、将来は、そういう機会も出てくるような気はしています。
―― 100%のリソースを使わずとも、試行として、あるいは、ロールモデルとして、ココホレジャパンが直接手がけるようなことがあってもいいと思うのですが。
浅井 いや、継業は、そんな甘いものじゃないです。いわゆる、経営だけする、ということでは済みませんし、もう全力で関わるべきことだと思います。場合によっては技術も継いでいかなくちゃいけないので、生半可な体制でできるようなものじゃありません。
―― なるほど。100%のコミットメントじゃないと継げないということですね。それは、ニホン継業バンクの継ぎ手側の登録者にも求めていることですか?
浅井 求めているというか、必然的にそういう人じゃないと継げないと言った方が正しいですね。やっぱり、そこはM&Aと違う。M&Aって、ある意味、お金で解決できるわけです。契約書で縛って、買ったんだから文句言うな、みたいな話で済ませることもできるわけです。
でも、継業バンクの案件は、そうじゃない。
より、ウエッティーな世界がそこにはあって、お互いに敬意もある。譲った側も、お金云々関係なく、継いでくれたヒトの成功を願って惜しみない協力をするし、継いだ側も、譲ってもらったものを守らなくちゃいけないという使命感で、めちゃめちゃ頑張るみたいな。
だから、そういったメンタリティーやカルチャーを持ってないヒトが、例えば300万円で会社を買います、みたいなノリで来たら、まずその継業は成立しませんし、成功もしないと思います。
楽に暮らしたいだけのヒトは必然と脱落していく
―― 応募してくる継ぎ手側が、仰っているような求めるメンタリティーやカルチャーを持っているのかどうか、フィルタリングや審査のようなことはやられているのですか?
浅井 我々はしていません。ただ、それぞれの地域の継業バンクには、必ず自治体さんなり商工会議所さんなりがあいだに開設者として入っています。僕らが傍から見ていて、「この継ぎ手候補さんは難しいだろうな」と思うような方は、そうした開設者さんとのやりとりのなかで、自然と脱落していっているというのが現状です。
―― 継ぎ手として名乗りを挙げる方のなかには、地方を活性化するとか、地域に貢献するとか、どうでも良くて、本音としては地方で楽に暮らしたいと思っているヒトもいると思います。
浅井 いますよ。例えば、「これ儲かるんですか」「生活していけるんですか」「食べていければ、仕事は何でもいいです」みたいなことを、いろいろな案件を通じて聞かれていたり。でも、そういう方は、やりとりを重ねていくなかでフェードアウトしていく。
今のところ、防止措置みたいなものは設けていませんが、幸いなことに、一つの案件に対して平均で10人ほどの継ぎ手候補さんから問い合わせが来ています。10人全員が、そういった方で埋め尽くされるわけではなくて、本当にその地域や仕事に対するリスペクトをもって応募くださる方もいるわけです。
必然と、譲り手さんも、ちゃんとリスペクトがある方を継ぎ手として選んでくださるので、今のところ、リスペクトがないような方は必然と脱落していくようになっています。
ここが、M&Aと継業の違いで、M&Aのほうは、もしかしたら、リスペクトがないような方が継ぎ手になることもあり得ます。安く買おう、いい条件で売ろうと、お互い、自分が有利になろうという交渉をして、金銭的な条件さえ合致すれば成立するわけですから。
でも継業の交渉は、お互いに何か尊敬し合い、「いや、もうそれで大丈夫です」「いや、こういうこともやってあげますよ」みたいなやり取りもある。見ていると、M&Aの世界とはまったく違っていて、おもしろいです。
都市部における優秀さと、地方で経営する優秀さは違う
―― あえて、違う角度から質問させていただきます。地方創生が遅々として進展を見せないのはなぜかを考えたとき、結局、答えは明白で、「東京一極集中」という課題が解決しないからだと思います。
なぜ、東京に留まり、地方へ行かないかというと、それは、そのヒトにとっての経済合理性がないから。もっと言えば、あえて私利私欲と言いますが、究極的には地方の衰退など二の次であり、まずは自分や家族が豊かであってほしいと願うのは当然だと思います。
ですから、東京が食えなくなってきた今こそ、物価や地価を考えると、地方のほうが経済的にも精神的にも豊かに暮らせる、という打ち出しをすれば、もっと都会の優秀なヒトが地方へ飛び出していくと思うのですが、どうでしょうか?
浅井 うーん。まず、優秀なサラリーマン人材が優秀な経営者になれるかというと、そうとは言えないですよね。継業というのは、経営者にならなくちゃいけない。サラリーマン的な、組織の要や社長の右腕、左腕になっていくこととはちょっと違う。例えばタワーレコードの優秀な部長が、地方で優秀な経営者になれるかというと、イコールではないと思います。
要は今の日本の教育というのは、サラリーマンの兵隊として優秀な人材を育てることができているのかもしれないですが、もしかしたらそのヒトたちは、東京じゃないと優秀でいられない可能性もあるのかなと思って。だから、都市部における優秀さと、地方で経営する優秀さの違いみたいなところは整理が必要なのかなと思いました。
―― 仰っていることはすごくよく分かります。自分もサラリーマンだったので(笑)。ただ、年功序列型社会が崩壊しつつある今、若い世代にいくに従って、メンタリティーは変わってきているのかなと思うのが一点。
もう一つは、都会にいようが地方にいようが、どこに住んでいても全員が地方における経営者に向いているわけではない、というのは当然として、でも都会、特に東京はとにかく絶対的な人口が多いうえに、大企業が集中していて様々な経験も積めるので、地方における経営者としても優秀である可能性が高いヒトが多いのではないかと思うのです。
今はまだ継業が成立した案件が6件ということですが、そうした都会の優秀な人材にアピールして、刺さることができたら、もっとインパクトがある変化を起こせるのではないかと思って、お聞きしました。
ベンチャー型継業の成功事例が景色を変える
浅井 都会に住む全員が向いているわけではないという前提で、確かに、例えばこれから、都会のサラリーマン人材は企業に残れるかどうか、早期退職制度を使うかどうか、より迫られるわけです。そうした、いわゆるプロフェッショナル人材が地方に活躍の場を広げ、自分の経験やノウハウを継業に活かしていく事例は、当然、増えていくと思っています。
もう一つは、承継したスモールビジネス(小規模事業)の売上げを急激に伸ばし大成功して、それこそ上場なんてしたら、いわゆるアメリカンドリームじゃないですけれど、継ぎ手は経済的な利益を得られますし、その地域や譲り手さんにも恩恵があって、インパクトをもたらすことができます。
継業のすべてがそこを目指す必要はありませんが、そうしたベンチャー型事業承継とか、ベンチャー型継業というものがいくつも生まれて、トレンドになっていけば、「じゃあ自分も一旗揚げようか」という意欲ある都会出身の継ぎ手が増えるかもしれません。
例えば、明治28年創業の佐渡島の酒蔵を証券会社出身の若者が20歳代でM&Aして、業績をV字回復させた例もあります。ちゃんと、日本酒や酒蔵へのリスペクトがあり、もとのラインナップを残しつつ、新しい商品作りにもチャレンジしています。
この事例は、ニホン継業バンクの成立案件ではないのですが、啓発活動の一環として、継業バンクの「継ぐまち、継ぐひと」という連載のなかで紹介しています。
ニホン継業バンクの仲介に限らず、こういった事例が増え、都会のヒトに知ってもらえれば、「こういうキャリアもあるんだ」となり、本当に優秀な人材がもっと地方でのベンチャー型継業を目指してくれるのではないかと期待しています。今までこういうキャリアがあるんだってことを、誰も想像してなかったわけですから。
誰のために移住して継業するのか
―― 現実解は、そういうことなんだと思います。いくら「地方が大変だ。このままだと日本は立ち行かなくなる。だから都会の皆さん、地方へ行って、その能力を遺憾なく発揮しましょう」と言っても、皆さん自分の生活がありますし、響かないですよね。
浅井 僕は「地域のために」と言って、移住してくるヒトをあまり信用してなくて。やっぱり、どこかで本音を隠していると思いますし、たとえ自己犠牲を払って地域のために頑張ってくれたとしても、限界が来るんですよ。地域の人たちから、「いや、別に頑張ってくれなくてもいいよ」と言われたら、そのヒトのアイデンティティーは消失しちゃいます。
だから、継業は譲り手さんにリスペクトをもってするというのは大前提なのですが、誰のために移住して継業するのか、と言えば、それはやっぱり、自分のためなんです。
先ほどの言葉を借りれば、私利私欲のためであると。生き方の選択肢として東京より地方の方がいいと、自己実現の場としてふさわしいと思えて、初めてそこに行こうとなるわけです。
だから、「あなたの自己実現をするフィールドがここにはあります」とか「能力があれば遥かに都会よりも稼げて、ウェルビーイングな生活が送れますよ」と、地域側も伝えていく必要があると思います。
その一つの道具やフィールドとして、廃業するかもしれない仕事や空き家、技術、後継者のいない事業という「資源」を引き継ぎませんか、というアプローチが、ニホン継業バンクでやっていることです。
「助けてくれ」とか「地方のために何とかしてくれる人材が欲しい」といくら言ったところで、ヒトは集まりませんよ。「何で自分がリスクを背負って助けに行かなきゃいけないんだ」となりますから。
―― マザー・テレサやダライ・ラマにはなれません。
浅井 はい。だから、僕も当然、私利私欲、自己実現のために来ています。だって、都会にいる方にメリットがあると思っていたら来ないですし、まだ音楽業界で働きたいと思っていたらタワーレコードにいましたし。
地域への思いが強いがゆえに、「地域貢献をしに来たんだ」と気張るのも理解できますし、最初はそう思い込んじゃうこともあると思います。でも、よくよく自分自身と対話をすると、「自分の生活を良くしたい」「幸せになりたい」と思っていることに気づくと思います。
そのために、自分にとって良い場所・地域を選んだ。移住したからには、やっぱり自分が住む場所をもっと良くしたいし、活性化してほしいから、地域貢献につながることをやろう。自分や家族の暮らしやウェルビーイングの質を追求した結果、地域も幸せになったら嬉しい――。というのが、健全で正しい考え方だと思います。
―― 私利私欲には、ヒトのためになる私利私欲と、ヒトのためにならない私利私欲、2つあると思います。このプラットフォームは前者向け。自己実現や私利私欲をくすぐる装置なんだけれども、結果として、地域やそこに住むヒトのためにもなる。移住者の幸せや経済合理性と社会貢献性を同時に満たすことができるということですね。
「地方のために貢献しよう!」と美辞麗句を並べるのではなく、「自己実現しよう!」という現実的なアプローチがもっと浸透して、地方でスローライフを目指すヒトだけじゃなく、意欲のある都会の優秀なヒトがどんどん継業を選択するようになったら、すごくソーシャルインパクトが大きくなり、“世の中を変える”感が出てくると思いました。
浅井 今の学生や若者が社会に出るとき、就職、起業、あるいはフリーランスと、いろいろな選択肢があると思います。社会人も、第2の人生を歩もうと考えたとき、独立して起業するか、転職するか、いくつか選択肢がありますよね。
僕らがやりたいことって、その選択肢の一つに、当たり前に「継業」というものが並ぶ世の中にしていくことなんです。
継ぐということが、自己実現の当たり前の選択肢になる世の中にならないと、地方創生なんて、いつまでたっても実現しないと思っています(#3に続く)。
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2003年タワーレコードに入社。販促企画部長、ライブ事業部長を経て、2012年に岡山に移住。淡路島の道の駅にたまねぎのクレーンゲーム等を設置した「おっタマげ!淡路島」や岡山を代表する魚ままかりをアンチョビにした「ままチョビ」の企画・製造・販売など、都市のモノマネではない、その地域ならではの魅力を発信している。2020年1月に、M&Aでは承継機会の得られない地域の小規模事業の承継機会の創出を目指し、事業承継版・空き家バンク=ニホン継業バンクを公開。モットーは「できない理由を積み上げない」。