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多くの地域が若者の巻き込みに苦心している。かつての逗子市もそうだった。高校生の頃から地域活動に関わってきた田中美乃里氏は、そこに同年代の仲間がいないことに歯がゆさを感じつつ、若者が参加しない理由もよく分かっていた。課題解決に向け2012年に田中氏が立ち上げた「逗子30'sプロジェクト」は、今や100人を超える若手メンバーが地域活動にのめり込むまでに成長。うねりは逗子を越え、近隣の自治体にも広がっている。

湘南エリアの東。鎌倉と葉山に挟まれた神奈川県逗子市で私は生まれ育った。人口約5万8000人。3割を超える高齢化率(人口に占める65歳以上の割合)は県下19市の中でも上位に位置する。「お年寄りが元気なまち」だ。

 

 元気な、とつけたのには理由がある。1980年代から90年代にかけて、市内の「池子米軍家族住宅」の建設に反対する市民運動が盛り上がり、陳情請願・監査請求・リコールなどが市民の手によって行われた。全国の数ある自治体の中でも「民主主義の教科書」と評された時代を経た、いわゆるセミプロ市民がその後も逗子のまちづくりを支えてきた。

 

 しかしその世代の活躍にも限りがある。このまちの担い手はどうなるのか……。シニア世代が今でも現役で、全国の多くの市町村の地域活動にかかわる一方、若手はほぼ参画しておらず、地域の将来が不安だという声をよく聞く。

 

 そんな中、逗子では今、少しずつではあるが、着実に次代を担う若手世代が台頭し始めている。その1つが、私を初めとする当時の30歳代が中心となり2012年に立ち上げたコミュニティー「逗子30’s(さんじゅうず)プロジェクト」だ。

 

ビーチクリーンを行う逗子30'sプロジェクトのメンバーたち

 

 逗子30’sの活動は多岐にわたるが、中でも代表的なのが「地元と観光のハッピーな関係づくり」を目指している「ずしうみプロジェクト」。6年前の14年から継続的に、ビーチクリーン(清掃)やゴミステーションの分別整理、ごみ持ち帰りの呼びかけなどを有志で行っている。

 

地域に無関心な人々

 

 逗子30’sの活動を仔細に紹介する前に、なぜ私がまちづくりに関わっているのか、簡単な自己紹介も踏まえ、ここに至るまでの経緯を紹介したい。

 

 繰り返される選挙での街宣に、ビラのポスティング……。約15年続いた池子の住宅建設反対運動を間近で見ながら、私は幼少期をこのまちで過ごした。年齢を重ねるにつれ、自分たちのまちのあり方に意見を持ったり、課題解決や未来の選択のために関わったりするのは当然のことと思うようになった。

 

逗子市中心部の街並み

 

 高校時代に声をかけられ、若者視点によるまちづくりへの意見交換会や、世代間交流のイベント企画に参加し始め、次第に自分の役割を意識するようになった。

 

 大学や大学院での研究内容も、自然とまちづくりへの市民参加のあり方を考えたり、提案したりするものとなる。そして、学生時代に運営メンバーとして参加した神奈川県藤沢市のインターネットコミュニティー「市民電子会議室」での活動やネットワークを礎に、地域課題解決や価値向上のための取り組みを行うNPO法人を06年に立ち上げた。

 

 一方で、こうした地域活動において、私は常に「地域への幅広い市民参加や関与を増やすにはどうしたら良いか」ということを意識していたが、それが思いどおりにならないことを肌で感じたりもしていた。いくら呼び掛けても大半の住民が活動に参加してくれない、という現実に悩まされてきたのだ。そして私は、その理由にたどり着く。

 

 既存の活動や参加者が、意図せず外部への参加ハードルを上げてしまっているのではないか――。課題発見は、市民組織などでの経験が契機となった。

 

活動に若手が参加しない理由

 

 逗子市が07年に策定した「逗子市まちづくり基本計画」の進捗を見守る市民組織に参加していた私は、ほぼ唯一の若手として事業推進に関わっていた。その中で、市民自治を進めようと、地域の担い手づくりを目的とした企画を何度か立てた。

 

 しかし、外部から講師を呼ぶなどして、まちづくりのフォーラムやワークショップをいくら開催しても、すでに活動に参加している人ばかりが集まる。どんなに広報をしても、新たな顔ぶれや若い世代の参加というのは、残念ながら、たかが知れていた。

 

 個人的に、関心のありそうな同年代の知り合いを連れ出したこともあった。最初は良いが、しばらくすると世代間ギャップという壁にぶつかった。ワークショップで議論をしても、これまで数十年間にわたり活動を積み重ねてきた先輩市民と若手では、情報量や経験に格段の差がある。

 

 若者の自由な発言は、「もう少し報告書や本を読んでから来るように」と、やんわり拒絶されることもあった。そもそも、長らく年功序列が当たり前とされてきた社会。先輩たちの前では、同列に意見交換をすることは憚られ、若手参加者のモチベーションを維持することが難しかった。

 

 ライフスタイルの違いも「参加しづらさ」の原因となっていた。会議は平日の昼間が中心。オンラインでのディスカッションは行われず、会議に参加しなければ意見すら出せない上に、議論についていくことは一層難しくなる。そうしたことが徐々に人間関係にも影響し、互いにストレスを生んでいった。結果、ようやく一歩を踏み出そうとした同世代たちが、既存の地域活動にハードルの高さを感じ、せっかく芽を出したまちづくりへの気持ちが萎えていってしまったのである。

 

 しかし、この課題を解決しないことには逗子の未来は拓けない。何とかして若い人たちにも地域活動に関わってもらえる方法はないか。色々と頭をひねった末に出た答えが、地元・逗子での暮らしをもっと楽しむことを第一に、気楽な地域の「同級生コミュニティー」を作ろう、という考えである。きっかけはTwitterだった。

 

地域と関わりたい潜在ニーズ

 

 09年頃からTwitterの利用者が増え、逗子界隈で暮らす人々によるTwitter上のゆるやかなコミュニティーもできた。年齢や生活圏が近いこともあり、偶然に地域で顔を合わせることもある。いつしか声を掛け合い、海岸でビールを飲んだりするようになった。仕事や家族のことも話したが、基本的に共通する話題といえば逗子のことだ。

 

 同世代とオンラインやオフラインで、とりとめのないやり取りを重ねるうちに、彼ら彼女らには、「もっと逗子という地域と関わりたい」というニーズや使命感があることが分かった。しかし一方で、やりたくてもできないという事情も明らかになってきた。

 

 「自分の住んでいるマンションは、建設時に近所の人たちが反対したということを知り、自治会などに入りにくい」「共働きなので、近所の人たちが子どもと顔見知りになってくれると安心なのだが、夫婦とも市外県外から引っ越してきたから、知り合いがいない」

 

 そうした意見は、私が感じていた問題意識と呼応するようだった。

 

 「このコミュニティーには可能性がある!」。そう感じた私は、具体的なアクションをしてみようと、まずは市に掛け合ってみることにした。

 

 「30代~40代にターゲットを絞った企画を実施したい」。以前から市民協働や地域活動の担い手育成を取り組んできた市の担当者にそう伝えると、「この逗子で若者が集まるとは思えない」と及び腰の反応。それはそうだ。これまでの実績を考えても、その見解は極めて順当である。

 

懐疑的だった市の担当者を口説き、コミュニティー誕生

 

 しかし私には、Twitter上のコミュニティーを通じて、逗子で仲間とつながりたい、地元で活動したいと考える同世代は潜在的に多いはずだ、という確信があった。若手にターゲットを絞ることで、共感してもらいやすくなったり、自分へ向けられた発信だと感じたりしてくれるのではないか。そうした人たちが集まってくれるのではないか。そういった予感もある。

 

 少し熱っぽく語ってしまったかもしれないが、私は市の担当者に食い下がった。甲斐あって、最終的に受け入れてくれ、若手企画の推進に親身になって協力してくれた。ふたを開けてみれば、企画のキックオフ当日は30人を超える30歳代が会場に集まってくれ、逗子の新たな地域コミュニティーが本格的に動き出した。

 

 逗子在住または在勤、あるいは逗子という地域に何らかの関わりや興味がある30歳代前後の男女が集まり、ゆるやかなつながりを持つ組織。これが、12年に立ち上がった、逗子30’sプロジェクトである。

 

「逗子30'sプロジェクト」のキックオフには、今まで地域活動に参加した経験がないような若者が大勢集まった

 

 8年前に誕生した逗子30’sのメンバーは現在、130人を超えた。小さな逗子のまちで、この規模のコミュニティーは相当な存在感がある。

 

 途切れることのない活動実績によって「持続的な組織」としても認知されるようになった。市の会議に出席枠が設けられたり、事業活動の担い手として依頼を受けたりと、一定の市民権を得ている。市民や行政から評価いただいている活動の代表格は、やはり冒頭で紹介した、ずしうみプロジェクトだろう。

 

「きちんと海に関わってこなかった」

 

 05年、地元出身のアーティストであるキマグレンが、夏の逗子海岸で夏季限定の音楽イベントを開催し始めると、逗子海岸の存在が広く知られるようになった。その規模は年々拡大し、同じようなライブイベントを企画する海の家も増え、12年にはひと夏で73万人もの観光客が逗子海岸に押し寄せた。

 

 半面、新たな課題に悩まされる。もはや海水浴場というよりもイベント会場として有名になった逗子海岸は、昼夜問わず大変な人出となり、“クラブ化”した海の家の騒音、飲酒マナーやごみ問題といった治安の悪化が深刻化したのだ。

 

夏の逗子海岸は海水浴客が詰めかける

 

 14年、逗子市は「日本一厳しいビーチ」をうたい、砂浜での飲酒禁止、海の家での音楽禁止、さらには日没と同時に営業終了といったルールを条例で定めた。当然市民の意見もさまざまに割れた。こうした状況下、逗子30’sも独自に動き出す。

 

 ワークショップを開催し、それぞれが思う理想の逗子海岸像や、観光客に対して地元としてどうありたいかという話題で意見交換をした。その中で目を引いたのは、反省の弁だ。

 

 「経済活動や観光面では一定の成果を上げながらも、総合的には決して望ましからぬ姿になったのは自分たちにも責任があるのではないか」「常にこのまちで暮らしている我々地元民が、きちんと海に関わってこないで、ある意味、無関心だったことも起因している」

 

 こうした議論を経て、ずしうみプロジェクトは走り出した。冒頭で紹介したようなビーチクリーンやごみ分別などに目が行きがちだが、本質は「地元の人と観光客の共生」にある。

 

地元民と観光客の新しい関係

 

 私たちが活動のコンセプトに掲げたのは、地元の人たちが海岸と関わる機会を増やし、そのことを観光客へも発信し、ともに海岸を大切にしていく新しい関係性づくり。まずは、夏の海から足が遠のいていた自分たちの姿勢を反省し、地元民にも夏の海を楽しんでもらえるような企画を模索。思いついたものはすべてイベント化していった。

 

 当時まだ珍しかった朝の海で行う「ビーチヨガ」、平日ひと泳ぎしてから出勤するライフスタイルの提案「朝スイム」、海の家で夏にしたためる「書き初め」、波打ち際に寄せられた貝殻や砂を使った「アートづくり」……。

 

書き初め大会など、市民が海へ足を運びたくなるイベントをいくつも企画している

 

 最初は地元民をターゲットにしていたが、限定していたわけではない。誰でも気軽に参加可能で、次第に地域外の人々も参加してくれるようになっていった。今では、大干潮時の海遊びや、1つもごみを出さないBBQ、通年活動する水泳部など、夏に限らずいつでも逗子海岸で楽しめるコンテンツが広がっている。

 

 一方で、観光客へのケアも忘れてはならないと考えた。

 

 厳しい規制が敷かれる中、訪れた観光客がルールを知らずに海岸でトラブルを起さないよう、嫌な思いをして逗子に悪いイメージを持ってしまわないよう、私たちは丁寧な姿勢で出迎えようと準備した。

 

 例えば、玄関口となる駅前に立ち、逗子海岸のルールについて詳しく知らせるチラシを配布。マイナスイメージだけの発信とならないよう、逗子海岸営業協同組合の協力を得て、海の家の割引券をセットで付けた。また、商工会の協力を得て飲食店マップを作成し、夕刻の早い時間に海の家から締め出されたお客さんを街中へ案内する仕掛けも用意した。

 

 海岸では、観光客が帰り支度を始める午後、「逗子 地元の人」と背中にプリントしたブルーのTシャツを着て、和気あいあいとビーチクリーンを行った。地元の人が、地元の海岸を愛する姿を背中で語り、きれいな海岸づくりに共感してもらえるよう工夫した。

 

「逗子 地元の人」と書かれたTシャツが活動のユニフォームとなっている

 

 次第に活動が共感を呼ぶ。砂浜のごみを拾い集めて回る中で、時には観光客に声をかけ、会話を交わすこともある。そうした中、自らごみを片付けたり、細やかな分別に積極的に対応してくれたりする観光客も出てきた。

 

 今年で7年目。今年は新型コロナウイルスの影響もあり活動を縮小しているが、例えば昨年のゴールデンウィークは雨天日を除く9日間、多い日は105人、延べ約600人が参加するなど、その規模は年々、拡大してきた。私たちの海を大切に思う気持ちや振る舞いが観光客とも共有できた、という手応えが私たちのモチベーションとなり、ここまで継続して来られたと感じている。

 

 もう一つ、逗子30'sが継続している目玉の活動がある。ずしうみプロジェクトの前年、13年から始まった「夜回りラン」だ。

 

7年間、月1回継続してきたパトロール目的の「夜回りラン」

 

 発端は、あるメンバーの何気ない一言だった。「仕事から家に帰った後にランニングをしている」という話に、「自分もそうだ」と何人かのメンバーが乗っかった。それならば皆でときどき一緒に走ろうとなった。

 

 ちょうどその頃、逗子30’sは、ある自治会との交流で地区の「火の用心」パトロールに参加していた。メンバーの自宅が夜間空き巣に狙われたことも重なって、「せっかく夜道を走るなら、ついでに防犯パトロールをしてしまおう」となり、夜回りランの企画へと発展していった。

 

夜回りランは開始から7年経った今も月1回ペースで続いている

 

 地域の防犯を目的としているが、この活動が逗子市の認知犯罪件数を劇的に減らしているわけではない。パトロールによる抑止効果を測定することも難しい。しかし、13年の開始から7年、ほぼ途切れることなく月1回ペースで続けてきた効果は、着実に現れていると感じている。

 

 夜回りランは、逗子警察署とも連携している防犯活動であり、そこに7年で延べ約800人もの人が参加したことは、まちの安心感に一役買っているだけではなく、地域への意識啓発にもつながっている。すれ違う人に「こんばんは!」と声をかけながら走るのだが、「こんばんは」「ご苦労さま」と返答してくれる人たちが増えており、大きな手応えを感じている。

 

 さらに、この活動は市外へも広がりを見せており、その観点からも成果を認めることができる。

 

 私たちの活動を機に、藤沢市(片瀬、鵠沼、善行)、鎌倉市、横須賀市、綾瀬市でも夜回りランが実施されるようになった。各地区の活動メンバーが集まり、意見交換したり、合同で走ったりする「夜回りランサミット」も開催している。第1回は17年9月に逗子市で開かれ、20人近くが集まった。

 

逗子で開催された第1回「夜回りランサミット」。日没前の海岸でパトロールコースなどを確認する参加者たち

 

 波及効果を生んでいるのは個別活動だけではない。私たちの活動に影響を受けた近隣地域の若い世代から、「自分たちの地域でも活動したい」と相談されることも増え、実際に、藤沢市や鎌倉市などで同様のコミュニティーが立ち上がっていった。

 

 8年前、同世代に呼び掛けて始まった逗子30'sは、途切れることなく若者たちの地域参加を促し、小さなまちに大きな変化をもたらした。市外へも、その精神は広がっていった。この事実に私は胸を張りたい。

 

 逗子30’sが地域と連携でき、活動を拡大しながら継続し、さらには他地域に影響を与えるほどの成果を出せたのはなぜか。その理由は「活動へのハードルを下げた」ということに尽きる。私がかつて感じた地域活動の課題を解決したのだ。

 

地域活動が長続きする秘けつは「無理のない仲間づくり」

 

 従来の地域コミュニティーや地域活動は参加へのハードルが高く、場合によってはそのことが閉鎖性や後継者不足につながっている可能性がある。そうならないよう、逗子30'sは活動の“入り口”に工夫を凝らした。

 

 個別活動については、気負わず参加できるよう、“ゆるさ”を残している。例えば、夜回りランでいうと、毎回、開催日が決まればFacebookでイベントページを立ち上げ、初めての人でも気軽に参加してもらいたいことをアピール。活動は夜間なので、働き盛りの世代でも参加しやすい。知り合いのいない人が参加しても、夜のまちを軽いジョグで巡る中で会話が自然と生まれ、お互いのことやまちのことを知り合える。時間はあっという間に過ぎていく。

 

 おまけの楽しみもある。着替えや荷物置き場のためのランステーションとして、地元の飲食店に協力してもらっているため、そのお礼と称して希望者はパトロール後に「ちょい呑み」をする。走った後で血流も盛んになっているのか、この時間は本当に皆よくしゃべり、よく笑う(そしてよく飲む)。初対面の人でもすっかり打ち解け、やがて「仲間」となっていく。

 

 逗子30’sの運営自体も、極力オープンにし、参加に関してある種のゆるさを意識している。まずは「この指とまれ方式」だ。

 

 月1回の定例ミーティングや、Facebookのグループページなどで出てきた誰かの興味関心がきっかけとなり、新しい企画が作られる。すると、経験を問わず言いだしっぺがリーダーとなり、役割分担を考える。初めてのリーダーには、周りが十分なサポートをするし、アイデアなども積極的に提供していく。役職や上下のないフラットな関係が売りとなっている。

 

 逗子30’sには「予算」がないこともポイントだ。既存の多くの組織がそうであるように、予算があるとそれに縛られたり、義務が生じたりすることがある。予算から解放されると年間計画を立てる必要がないため、ニーズとやりたい人さえいれば、臨機応変にイベントを立ち上げ、いくらでも実施できる。費用が必要な場合は参加者から集めたり、市民活動助成金に応募したりして調達することもあるが、基本的にはお金をかけずにできる活動はたくさんあるのだ。

 

自治会との合同もちつきイベント。若者の力が地域の人たちに重宝される一例だ

 

 現実に多様なメンバーで構成されている点も、新規メンバーにとっての障壁を下げている。自営業者、民間企業勤め、地元の市役所や社会福祉協議会、商工会などで働く人たち。子育て中のメンバーもいれば、独身もいる。地元育ちも、移住者もいて、逗子30’sに関わったことで引っ越してきた人もいる。社交的なタイプもいれば、“引きこもり”もいる。このことは、逗子30’sが他者を受け入れ、自分とは異なる考え方や生き方を否定しないことを体現している。

 

 会議への出席も義務ではなく、気が向いたときに参加すれば良いというスタンス。初参加の次が3年後だった、という人もいるくらいだ。逗子30’sとうたってはいるが、厳格に制限しているわけではない。何か共感するものがあれば多少年齢が外れていても構わないし、市内在住・在勤でなくてもいい。実際、立ち上げ当時に30歳代だったメンバーの多くが、今では40歳代となり、活動を継続している。

 

まちにとっての財産、協力しあえる未来

 

 こうした、ハードルを低くした無理のない仲間づくりこそが、地域活動を持続可能にするために大切なものだと身をもって感じている。

 

 もちろん、逗子30’sの存続がゴールではない。自分のまちに目を向け、関わる人が増えることで、まち全体が健やかに発展することが私たちの願いである。その意味で嬉しい知らせがある。逗子30’sに参加したことがきっかけとなり、地域で活躍の場を広げているメンバーが増えているのだ。

 

 ある仲間は商店街の活性化や魅力発信のイベント実行委員会の中心的メンバーとなった。別の仲間は障がいのある人も、ない人も一緒に楽しめるような企画を、別の組織で続けている。アーティストやクリエイターの仲間も広がっている。彼ら彼女らが逗子30’sとゆるやかなつながりをもったまま各フィールドで活躍を見せてくれている。この先、このまちにとって想像を超える大きな財産になっていくはずである。

 

 自分が60歳代になったとき、地域に30年来の知り合いが何人もいて、互いの性格や得意なことも分かっていて、いざというときに協力し合える関係性がある。そんな未来はちょっと楽しみではないか。このまちで一緒に歳を重ねていくことに、わくわくしている。

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田中 美乃里

田中 美乃里 @minoritt

1977年神奈川県逗子市生まれ。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。同科助手・助教を経て、2006年「NPO法人 地域魅力」を設立。 12年より、「逗子30'sプロジェクト」として、逗子市で暮らす30代前後の世代を集め、仲間づくりや地域貢献活動(夜回りラン、海岸やまちのクリーンアップ活動、担い手育成等)を進めている。 |田中美乃里(たなか・みのり)

  • 岩田 祐一
    岩田 祐一 @toranoko01 5か月前
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    逗子、藤沢、鎌倉、といったところは、「そこが好きで」住み続けている、引っ越してきた、そういう人々が多いイメージがあります。。。しかしながら、そうした地元の人々がある意味、海に無関心だったところがある、地元の良さを積極的に磨き上げることに無関心だったところがある、ということは、意外なことでした。。。田中さんの営み・働きかけ含めて、そういうことに「緩く繋がりながら携わろう」という「受け皿づくり」が、1つの大きなきっかけになったのかな、と感じた次第です。

    逗子、藤沢、鎌倉、といったところは、「そこが好きで」住み続けている、引っ越してきた、そういう人々が多いイメージがあります。。。しかしながら、そうした地元の人々がある意味、海に無関心だったところがある、地元の良さを積極的に磨き上げることに無関心だったところがある、ということは、意外なことでした。。。田中さんの営み・働きかけ含めて、そういうことに「緩く繋がりながら携わろう」という「受け皿づくり」が、1つの大きなきっかけになったのかな、と感じた次第です。

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